ニール・ヤングの魅力





あるとき、ある先輩がhirokoに聞いたことがある。
「あんさんにとってニール・ヤングの魅力とは何なんだ?」と。

あまりにもニール、ニールとオウムのように繰り返しているのに業を煮したのかもしれない。
みなさんの中にもそう思われる方がいらっしゃるようだと思う。
常軌を逸したこの行動をただの追っ掛けと称してもらいたくない。
だが、何故にもこうhirokoやクリスを駆り立てるのか?ニューヨークまでニールを見にいく?
そう思われても当然だろう。
彼以外のアーチストだったら、海を渡ってまで、高い航空券や宿泊やチケットを購入してまでのことには絶対にならない。
hirokoとて、毎日ただただニール・ヤングを聞いているのではない。
いろんな音楽を知って、いろいろ聞き込んで、でもやっぱり戻りつくのはニールになってしまうのだ。
さて、その魅力?
この問いを発せられた時、咄嗟に出てきたのが「ニールのその生き方とエネルギーとパワー、簡単なように見える歌詞の重さ」と実に簡単に片付けてしまった。
hirokoとて物を書くことが好きな末端のはしくれ。
こんな拙い答えでは恥ずかしい。
・・・ということで、hirokoは書いてみることにした。何故なんだろうかと・・・

ニール・ヤング・・・取り立ててハンサムな訳でもない。
どちらかといえばお猿の惑星である。
おまけに禿げまでこしらえている。男として取り立ててセクシーな訳でもない。
彼を旦那さんにしたいか?と問われればNOである。
ファンと言うもの種類にはいろいろある。
彼の作り出すものは何でもかんでも好き!という100%。
彼の友達を知っているとか、彼と握手したとか、彼のことを誰よりも知っているとか・・・hirokoは残念ながらそのたぐいではない。
彼が今何をしてようが、誰と寝ていようが、誰と握手をして会話していようが、全くそういうことには興味がない。
それじゃぁファンとは呼べないわよ・・・と言われたら、はぁ、そうなんですか・・・・でもってファンであることから降りねばならんのだろう。
hirokoを駆り立てる彼の魅力はそのプロフェッショナルに徹しているところだ。
今、みなさん、何かクリエイティブなことをされていますか?
何でもいいんです。
お店で売っているものを買ってだだただ使うだけの消費者生活を送ってやしませんか?
クリエイトする力を失うことはその人の魅力を失うことになると思う。
どんな小さなこと、たとえば出来合いのパックのお惣菜ばっかりや外食ばっかりせずに手作りのお料理を作ること・・・これも立派なクリエイトだ。
手編みのセーター、刺繍なんぞもクリエイトだし、手作りのカードだってそうだ。
物を書くことだってクリエイトだし、絵を描くのだって、自分自身の言葉で自分の曲を作るのだってそうだ。
こういうクリエイトに携わっている人間はいつも何頭のエネルギーを持っていると思う。
なぜならば絶えず新しいものを新鮮なものを追いかけ、想像力や思考力を働かせているからである。
そして人の反応を見たいからである。
WEBを公開している人たちは誰でもがそのはずだ。
「書くことが楽しいから・・・」だけではないんだ。
書くことが楽しいだけなら、何もWEBで公開する必要なんてない。
ノートに書き止めて引き出しに仕舞い込んでりゃぁいいのだから・・・
誰かに見てもらいたいがためである。
そして反応を感じ取りたいのだ。
想像力の育成もかかせないもののひとつである。
今の時代は何でも早い。
小説を読まなくても映画やDVDで物語が楽しめる。
だが、この楽しめる・・・は本当のものだろうか?
小説が働きかける想像力というものは決して映像なんかでは味わえないものである。
人間、近道が好きだ。
だけど、長い人生、たまには遠回りして、違う景色や違う観点を見出すことも、人としてのこやしになったりもする。

hirokoは昔からいつも周りから「どうしていつもそうエネルギッシュでいられるの?」と言われてきた。
クリエイティブな人間とはhirokoの場合はその程度こそ幼稚ではあっても、いつも何かを作っていたからかもしれない。
今度は何を・・・明日は何を・・・といつも思っていた。
そして想像力や閃きがなくなった時の恐ろしさも知っている。

音楽に携わるものは特にこのエネルギーが人より敏感で貪欲で攻撃的でないといけないと思う。
いろんなミュージシャンがひしめくように存在している。
過去に大ヒットをぶっ放し、ゆるぎない地位を獲得したミューシャンも数多くいる。
ところがファンたちも歳を取るようにミュージシャンたちも歳を取る。
10代20代の恐いもの知らずの感性が一番敏感で何でも作れた時代から歳を取るごとに、エネルギーや閃きや想像力、攻撃力は低下していくのはやむを得ない。
だが、肝心なのはここからだ。
過去の栄光だけにすがっているミュージシャンと売れないかもしれないが「とにかくこれが今の自分だ!」とコンスタントに新曲を披露してくれるミュージシャンの2通りだ。

以前、イーグルスを見に行ったときに感じたものはまさに前者だった。
押しも押されぬ大スターだった彼らの演奏はやっぱり凄いとは思いながらも、伝わって来るものが何もなかったのである。
過去の栄光にすがって過去のヒット曲ばかりを並べたコンサート。
勿論ファンたちもそれを期待して行っているのだろうが・・・
何作かの新曲は披露したが、あくまでもそれらは「オマケ」にすぎなかったのだ。
クリエイティブな人間にとって過去のヒット曲ばっかりをやり続ける、期待され続けるってことがどれだけの屈辱かである。
新しいものを見て、感じて、酔って欲しいものなんだ。
これなら思い出して「ホテル・カリフィルニア「のLPをかけて家で聞きながら昔を懐かしむ方がいいのである。
ところが・・・このニール・ヤングという怪物が普通の怪物と違うところがここなのだ。
彼は毎回趣向を凝らし、いつも新しい感性を披露してくれる。
コンサートでは新曲が中心で過去の作品はあくまでも、ファンへのサービスとしての「オマケ」となっているところにある。
55歳ならば55歳の僕の今なんだ。
59歳ならば59歳の今の僕の感性なんだ!とファンに挑戦を挑んでいくエネルギーである。
これを失ったらクリエイティブな世界では枯葉となってあとは老いるだけである。
そそくさと引退したり、解散するかして姿を消すしかない。
いつまでも感性を磨き、新しいものを創造していく力を持った怪物君。
これがニール・ヤングではないだろうか。

余談になるが、hirokoのもう一人の尊敬するミュージシャンはWarren Zevonである。
彼もニールほどの売れっ子ではないが、彼を越すプロフェッショナルである。
肺がんと診断されて、残る1年足らずをアルバム製作に費やした。
ある映像でスタジオで収録中のクリップだが・・・なかなか上手く収録できず、スタッフから今日はちょいと休んで、明日すっきりした気分で・・・と促される・・・
彼は言った。
「僕は死ぬ人間なんだ。ちょいと休んですっきりした気分で・・・はないだろ!」
痩せ細り、声にも張りが失いかけていた映像で答えている。
「僕はショービズに生きる人間だ。この収録について、あくまでも逃げ隠れしないでショービズの人間として終わっていくんだ、そのためにvideoの収録をOKしたのさ」
そして彼は最後の新作アルバムの発売後、そのチャート入りを確認して死んでいったのである。
これほどのプロフェッショナルはそうそう探してもいないはずだ。

・・とまぁ、こんなプロ中のプロはhirokoの知るニュージシャンではこの二人しか挙げられない。
だからといって他のミュージシャンが劣っているというのではない。
ただただhirokoはそういう生き方がをする人を尊敬して、その挑戦を受け止めたいのである。
いい出来かイマイチという私観は別にして・・・・
だからhirokoは追っ掛ける。
彼が枯葉で朽ち果てるまで・・・