バンドの思い出

初めてバンドらしきものを組んだのは高校1年の頃だった。
「角砂糖」という名の中学時代のバレーボール部のメンバー3人がバレーのボールからギターに持ち替えての
女の子3人のアコースティックのバンドだった。
それから大学に入学してからは生ギターからドラムに鞍替えして、卒業するまでの4年間はいろんなバンドに顔を出していた。
どのバンドも今から思えば、とっても楽しかった。
まさに青春時代は音楽とバンドの練習とバイトに明け暮れていた。
昨年日本へ里帰りした際にこれらの一部のメンバーたちと再会を果たした。
「さぁ、練習するでぇ」の昔のノリはそのままだった。
こういうバンド時代の仲間は「音楽」という共通の趣味に繋がれているから、くどくどとした近況報告とか自己紹介は
いらない。
時はうんとこ過ぎても「おっさん」「おばはん」になっても気が若くて生き生きしている。
「音楽」はそんな不思議なエネルギーを与えてくれる素晴らしいものである。
ふと、バンドのことが書き残してみたくなった。
思い出をちょいと書いてみようと思う
 



LSD物語

☆角砂糖の巻
☆オレンジエードの巻
☆LSDの巻
☆写楽の巻
☆スクリュードライバーの巻
☆やかんみどろの巻
☆チェルシーの巻
☆シトロンガールの巻
☆れいバンドの巻
 
 



「角砂糖」の巻

中学時代のバレー部の仲間だった。
キャプテンのミィー、セッターのトヨ、アタッカーのおっかぁ、という3人が「サインはV」から「ギターでBOO」の体育系
から文科系へと変身をとげた輝かしいバンドである。
高校は各自が違う高校に通っていたが、住んでいるところが目と鼻の先だったので、学校から戻るといつもギターを抱えてどこかで練習をしていた。
最初にギターを手に入れたのが「おっかぁ」だった。
ギターに憧れを抱きながら、ただただリスナーだったhirokoは羨ましかった。

あるとき彼女が吉田卓郎の曲を弾いてくれた。
「おおお!ギターが弾けるなんて、いいなぁーーーー」とhirokoはギターが欲しくてたまらなかった。
当時、ギターを買おうにも自分の少ないこずかいではまだまだ高嶺の花だったが、「高校に受かったらギターを買ってやる」という父の一言で高校入学後、晴れてギターを手にしたのだった。
初めてのギターは確か大阪は心斎橋の「ミヤコ」だったと思う。
1万6千円ほどの「ヤマキ」のギターでとっても弾き易かった。
それから練習をして、はじめてまともに弾けた曲が吉田卓郎の「結婚しようよ」である。
確かコードは3つほどしかなかったんではなかったかな?
ただじゃかじゃか鳴らしていただけの実にお粗末なものだったが、1曲完成できたことで自信がついた。
「落陽」が格好よかったので、次は「落陽」。
そのうちにアルペジオやスリー・フィンガーなど指で弾く奏法を練習した。
毎日がギターの練習に明け暮れて指の先がボロボロになっていた。
丁度その頃、ミィーもギターをゲットしていた。
或る時3人が集まって「バンドをやろう!」などという宣言も無しに3人3様でじゃかすか鳴らしているうちにこいつは形になるんではないか?という直感が走った。
バンド「角砂糖」の誕生だった。
高校の友達の「サトミ」がたくさん詩を書いていたので、彼女の詩に曲をつけたのがオリジナルの始まりだった。
角砂糖は練習を開始した。
もっぱら「かぐや姫」や「イルカ」から選曲し、オリジナルを交えたりしながら、練習はいつもミィーの家でおばちゃん(お母さん)から「あーうるさいうるさい!」となじられながらも大声を張り上げて唄っていた。
練習は1曲が完結を迎えるのは大変なことだった。
箸が転んでも面白い年頃である、いつも途中で脱線して「コミック・バンド」となってしまう。
「便秘の歌」「おならの歌」といった馬鹿な曲を真面目な曲の合間に入り混ぜて、ラジカセに録音してはいつも誰かに
配っていた。
給食センターでミィーと二人でアルバイトをしていた時に箱いっぱいに詰まっている「たまねぎ」にえらく感動と
共感を覚えて私達のトレードマークが「たまねぎ」となった。
これはこの二人にしかわからない世界である。
「たぁまぁネギィー・ジャンジャン・タマァネギィー・ジャンジャン・タマァネギィー・ジャンジャン・・・・」ただそれだけの
歌なんだが、これをやると二人は元気が倍増する。
おっかぁはいつも「やめてぇ!気が狂いそう!」と叫んでいた。
真面目と不真面目の両極端の顔を持つ角砂糖も卒業するまでにはレパートリーは結構な数になっていた。
「妹」「神田川」「なごり雪」「何となく」「旅立ち」「思い出」etc・・・
卒業後は3人はバラバラとなりhirokoは大学のある京都へ下宿することになった。
それでも角砂糖はギターを抱えて京都の下宿までやってきた。
「みどろが池」の下宿で時折集まって、泊り込んでの合宿をやったりしていたが、殆ど練習と言うよりも呑んで騒いで
唄ってのおバハンのノリだった。
この頃、大学のサークルの影響でいろんなたぐいの音に出会い、これは角砂糖にも多大に影響を及ぼした。
サークルの先輩達に聞いてもらって、アレンジしてもらったり、アドバイスを受けたり、音が広がりをみせていた。
其の当時はいろんな所で明日のミュージシャンを夢見るオーディションが開かれていた。
角砂糖はオリジナルをテープに録音し、いろんなオーディーションに送り続け、明日のミュージシャンを夢見ていた。
ヤマハのポプコン、京都音楽祭、サウンドコーク、東芝etc・・・
いつもテープ審査は合格し、予選を勝ち抜いた。
ポプコンではいつも奈良県代表に選ばれて、関西大会に出場し、見事に落ちていた。
京都音楽祭ではあと一歩というところで壁にぶち当たった。
ここまでが角砂糖の功績だった。
みどろが池のライブハウス「異魔人」のマスターに私達のたまねぎをあしらったオリジナルTーシャツを作ってもらい、ついでにそのついでにライブに出演させてもらった。
其の後はおっかぁが彼氏が出来て、練習とデートの板挟みで苦しんでいたが、自然と遠のくようになってしまった。
オーディション、オーディションの為と本来の楽しい「角砂糖」は姿を消してしまっていた。
おっかぁが抜けた角砂糖だったが、ミィーとトヨの二人で続行してはいたが、以前のような盛り上がりがなく自然と卒業そして就職と同時に自然消滅していった。

角砂糖の誕生からすでにウン?十年。
CD-RWのお陰で角砂糖のテープを拾い集めてオカルトCD「おばはんになりました」というタイトルのCDを作った。
角砂糖は勿論当時を知る人たちに配るつもりである。
 
 



 

「オレンジ・エード」の巻

大学入学後、初めてのオリエンテーション期間中だった。
hirokoはまだ下宿が決まらず、遠い山奥の大学まで通い組をしていた。
不安と期待を胸に秘めながら、初めての登校日。
京阪三条のバス乗り場から満員の大学行きのバスに乗り込んだ。
あーあ、1時間近くこんな状態かえ?こりゃぁ学校へ行くまでにかなり疲れちまうよなぁ。などとオバンみたいなことを思っていた。
しっかりと吊革を握り締め、殆どが男子学生に占領されたバスの中、ふと隣を見ると女の子だ。
か細い感じのお嬢様風の女の子にhirokoは声をかけた。
 「学部は何ぁにぃ?」
 「外語よ。専門はフランス語学科」
「おお!あたしも外語でチャン語だよん。」
の会話で始まって大学に辿り着くまでに意気投合してしまった。
これが「スミちゃん」との出会いである。
「クラブは何か決めているの?」と尋ねると「ううん、まだ決めてないけど演劇部にしようかな?って思っているの」と
可愛い彼女は答えた。
「私は音楽が好きだから音楽系のクラブに入ろうと決めてんだ!」とhirokoが言う。
「どんな音楽聞いてるの?」と再び聞くと「ユーミンとか、松山千春だとか・・・」
間違っても郷ひろみだとか西城秀樹だと言わなかったことで、安心した。
どことなくもの静かで控えめで、賑やかでやかましいhirokoとは全く正反対な性格だったから、ボケとつっこみ感覚で
何かと話が弾んでしまい、しまいにはクラブを見に行くと言ったhirokoに彼女は一緒にどんなところか見に行ってもいい?と尋ねてきた。
「もちろん!一人じゃあ心細いしね。」でもって、二人は「フォークトレイン」の門をくぐった。
長髪の足の長いお兄さん達が一杯クラブのBOXの前で、思い思いがギターを鳴らしながら、歌を唄ったりしていた。
「おおおお!これがあたしの長年求めていた世界やぁ!」でもって即決でクラブに入部することにした。
hirokoは高校時代に「角砂糖」を組んでいたので或る程度のギターは自信があったが、大学に入ったら絶対ROCKバンドがやりたかった。
一緒に付いてきたスミちゃんも何やらの興味を示して、ついにスミちゃんを「フォークトレイン」に引き込んでしまっていた。
まだ右も左も判らぬピカピカの1回生。
クラブにはどんなバンドがあって、自分がどこまでやれるかなどとんとわからない。
バンドを組もうにもどんな奴がいて、自分の興味に合うかどうか、これからいろいろ散策しなければならなかった。
女の子のROCKバンドは存在しないということで、少々がっくりきたが、ROCK好きな1回生の女の子が結構いたことが救いだった。
何カ月後には「一回生コンサート」が開かれるという。
上級生へのご挨拶みたいなコンサートである。
何かバンドを組まねば・・・とhirokoは思ったが。。。角砂糖はここにはいない。
そうだ!スミちゃんだ!とhirokoはスミちゃんに「バンドやろう!」と声をかけた。
「オレンジエード」の誕生だった。
スミちゃんがボーカルでhirokoがギターとハモリを担当した。
スミちゃんの声はか細く、hirokoは太くて低い。
一見合いそうではなかったが、スミちゃんと歌を唄ってハモリの部分に差し掛かったら、驚いた。
彼女はハモリが入ると、俄然声がしっかりしてくる。しかもツラレることがない。
音程がしっかりしている。こいつはイケルぞ!
ギター1本とは寂しい限りだがなんとか形が出来てきた。
選曲はユーミンや赤い風船、CSN&Yなどからとって、二人は練習に励み一回生コンサートに臨んだ。
「竹田の子守り歌」が私達のトレード・ソングみたいで、このハモリは上級生にも印象をバッチリ与えた感じだった。
hirokoはスミちゃんにギターをマスターして欲しいと願って、彼女もヤル気になってギターを買ったが、スミちゃんは
可愛かった。
スミちゃんは可愛かったのですぐに彼氏が出来ていた。
彼氏とのデートでなかなか真剣にギターを練習する時間がとれなかったのだろう。
最後まで彼女のギターはお目見えすることなく終わってしまった。
1回生コンサートの直後、男性の3人のバンドが一人メンバーが抜けるのでということでオレンジエードとの合体を
求めてきた。
選曲は松山千春系・・・このあたりからhirokoは一気に興味を失ってしまった。
別に松山千春がどうこういうのではなかったが、丁度其の頃、ようやく女の子でROCKをやろう!というメンバーが3人まで揃っていた。
長年夢見たROCKバンドである。
スミちゃんにはこの男達がついていると安心したので、hirokoはオレンジエードを抜け、ギターからドラム・スティックに
持ち替えて、ひたすらドラムの練習に励んでいた。

オレンジ・エードは私にとっては「竹田の子守り歌」であり、スミちゃんは大学入学、初めての友達となった人。
昨年の里帰りでうん?十年ぶりにスミちゃんに再会したが、スミちゃんはやっぱりか細いままで可愛いおばさんに
なっていた。
 



 

「LSD」の巻


大学の「1回生コンサート」の直後、女の子だけでROCKをやろうぜ!という鼻息の荒い3人が集まった。
タエちゃんはギターでヤヤちゃんがベースをやると言う。
あとはドラムとボーカルなのだが、hirokoはギターがやりたかったが、当時お金がなかった。
彼女たちは楽器を購入し、準備万端整っていた。
「高校時代何かバンドやったことあんの?」と聞くが、「いいや」。。。
「そんじゃぁ弾けるの?」「いいや、初めて・・・」。。。。
「嘘やろ?」
いつになることやら・・・・
そんな感じで当初は期待はしてはいなかったし、hirokoが何をやるのかといっても生ギターこそ持っているが、新しい楽器を購入するお金がないから、
ドラムならBOXにあるのを使って、自分はスティックだけを買えばいい。
・・・なぁーんて安易な考えで、ドラムをやるぞぉー!ということになった。
まぁ、とはいってもドラムというのもなかなか格好いいものだ。
「やってみてもええかいな?」
とまぁ、3人が気合だけは一人前なのだが、全く初心者のド素人でスタートした。
何をやるんだ?という段階で彼女たちは「エアロスミス」などと、自分達がド素人ということをスッカリポッカリ忘れて
馬鹿なことを言う。先が思いやられるなぁ・・・こんな状況を見兼ねた先輩が最初の曲はCCRの「プラウドメアリー」と
決めてきた。「えええええ????こんなおっさんの曲ゥー?」と、ブーたれながらも初めてのド素人である。
1曲を完成するのには大変なことだった。
hirokoは当時クラブ内で大活躍していた先輩の「鶴岡」先生(ツルちゃん)を師匠と慕ってドラムの基礎をしっかり教えてもらった。
女だからパワーがないからと鉄の棒を貰って、腕がキーンとなるまで練習を積んだ。
ツルちゃんのドラムは格好よかった。
あんな風に叩けたらなぁ。とは思いながら自分なりのスタイルでまずはリズムをキープすることが先決でとにかく
リズムキープに集中しながらエイトビートの練習に励んだ。
ヴォーカルが加わった。
よりにもよって、アメリカ留学帰り先輩のカッコイイ、ヨーコさんがLSDに参加してくれることになった。

「プラウド・メアリー」「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」の2曲を完成するに至り、物珍しさでもってヘタクソながらも秋の定期コンサートのステージに立ったり学園祭ではピロティー・ステージ(学内の野外ステージ)に立ったりして演奏を披露していた。

2回生になり、ヨーコさんが抜けた。
ヨーコさんの後がまにフォーク上がりのみさおちゃんが参加し、他所のバンドでキーボードを弾いていたミヨがキーボードとして参加し、LSDは広がりを見せたが、タエちゃんのギターは一向に上達しなかった。
当時はブラックサバスやカルメンマキ&OZ、ヴァンヘイレン、ハートなどに走っていた。
合宿で頑張って練習し、学園祭のシーズンには京都の各地の大学のステージに立っていた。
目立ちたがり「LSD」は出番とあればどこでも現れていた。

3回生の春の合宿あたりからタエちゃんが抜けるようなことを言い出した。
その穴埋めにキーボードのミヨがギターを持ち、代わってのキーボードにテニス部にいたヒロコが入ってきた。
当時ヤマハの88ロックというrockのオーディションがあって、LSDも勿論参加したが、バンドとしては落ちたが
ベースのヤヤちゃんがベースの個人賞を獲得してた。
何とも名誉なことだった。
ややちゃんのベースは格好よかった。
彼女との息はバッチリだったので、他所のバンドからもややちゃんとhirokoはいつもツガイになって求められていた。

秋のコンサートでLSDは解散宣言をした。
コンサートではカルメンマキ&オズの「空へ」「とりあえずロックンロール」レインボーの「The Man On The
Silver Mountain」ロッドスチュアートの「Hot Legs」などを演奏し、その直後タエちゃんとhirokoがLSDを抜けた。
hirokoは同時にクラブも抜けた。

LSDはその後もややちゃんとみさおちゃんそしてヒロコの3人と後輩の男の子2人を入れ込んで続行していた。

LSDはhirokoにとっては初めてのドラムに挑戦した思い出深いバンドである。
ヘタだけど頑張った。
ややちゃんとは未だに交信が続いている。
 

 

写楽の巻
 

大学当時はウエストコーストサウンドの大流行で学内は至る所に「乗らずのサーファー」達がウヨウヨいた。
勿論音楽は「イーグルス」や「ジャクソンブラウン」「ドゥビーブラザーズ」ectを筆頭に数多くのアメリカ西海岸音楽が至る所から流れていた。
hirokoはバイトの給料が入るとその殆ど半分をレコードに当てていた。
京都の四条河原町にある輸入盤ショップで安いレコードを次々と買い求めていた。

さて、写楽は同級の男の子達が組んでいた「イーグルス」のコピーバンドだった。
ヴォーカル&ギターのコテツ君をバンマスにベースの徳次郎、ギターの橋口君、同じくギターのコウセツ君、はてな?ドラムは誰やったっけ?・・そうそう山下さん。
彼等の「呪われた夜」を聞いて、俄然参加したくなったhirokoはハモリで登場した。
「フーフー、ハァーハァー」と、はもっていた。
「Take it Easy」ではバンジョーでカン君が参加し、とっても楽しい感じのバンドだった。
「DESPERADO」は唄わせてくれぇー!とせがんでhirokoは唯一ヴォーカルを担当させてもらった。
みんなどーしているんだろうなぁ??
 
 
 



 
 

スクリュードライバーの巻
 
 

リズム・キープだけでええから頼む!と頼まれて夏の合宿中彼等のドラムとして参加した。
フォークトレイン(クラブ)は春は滋賀県の志賀の民宿で、そして夏は信州の志賀高原で合宿を行っていた。
このバンドは「やかまし系」のガンガンのROCKバンドだった。
同級の長髪の男達が4人だったのだが、ドラムの松田君が夏の合宿に参加出来ないということで、ドラム不足のクラブ内でhirokoに白羽の矢が飛んできたという訳だった。
「スコーピオンズ」や「UFO」系だったこのバンド。
ドラムの松田君はクラブ所有のドラムセットのスネアドラムの皮をその馬鹿力で叩き破ってみんなの顰蹙をかっていた。
そんな奴の代理がひ弱な?hirokoに勤まるかどうか?
立派に合宿中彼等と仲良くなって性格をつかんでしまった。
練習をやっているよりも、みんなで「卓球」をやっていたという記憶しか残っていないが・・・・

夏の合宿も終え、無事秋の学園祭のシーズンがやってきた。
ところが、またまたハプニング。
またしてもドラムの奴が今度は交通事故にあってしまった。
ギブスをはめて痛々しい奴の代りに再びバンドに招かれた。
ひと夏の合宿で内容が判っていたので、学園祭のライブは混乱せずに無事に遣り終えることが出来た。

こいつらももうみんな「ええおっさん」やってんのやろうなぁ。
 
 
 





 

やかんみどろの巻
 

hirokoはかつてから1度はニールヤングをやりたかった。
かといって、メインで出来るほど歌が上手いわけでもない。
hirokoのフェイバリットソング・・・「ハート・オブ・ゴールド」
これを披露する場所が現れた。
LSDのベースのややちゃん、弾き語りや写楽でバンジョーを鳴らしていたかん君と3人でややちゃんの「や」
カン君の「かん」そしてhirokoの愛称?「みどろ」でもって「やかんみどろ」という半分冗談の即席バンドをこしらえた。
夏の合宿中だけのまるでかげろうのような生涯のバンドだった。
かん君にはしっかりハーモニカまで吹いてもらった。
合宿の最後にはその合宿の成果をご披露するコンサートが開かれる。
そこで、「ハート・オブ・ゴールド」と「テル・ミーホワイ」を演奏した。
自分の一番好きな曲をやる訳だから実に満足するバンドだった。

かんくん、ややちゃん、ありがとう。
 
 
 



 

チェルシーの巻
 
 

1つ上級の女の子達のバンド。
4名のメンバーはクラブ内の所謂「きれいどころ」だった。
内容は当時ニューミュージック系と呼ばれていたもので、大橋純子とか大貫妙子あたりのコピーをやっていた。
そんなきれいどころのかやのさんがある日ややちゃんとhirokoにバンドのバックに参加して欲しいと言ってきた。
「ええ?うっそぉー!このきれいどころに?」ってな感じで、戸惑いながらも、彼女達のバンドに参加した。
端から見ていると結束が固くて、あまり男を近づけない自分達の世界をしっかりもっていて、たった1年の違いなのに
随分大人の女達に見えて、近寄りがたい印象だったのだが、いざバンド内に入るとその待遇は最高だった。
練習の送り迎えは自家用車だったし、腹をすかしている下宿生だった二人にご飯をおごってくれたり、お金をもっていて、奇麗で、通い組で・・・・

憧れのお姉さん達って感じだった。
 
 
 
 


 
シトロン・ガールの巻
 
 

大学のクラブに入部した時に2級上の先輩で「バッチャン」(川端先輩)と呼ばれていた人がダントツに輝いていた。
「あ、この人は将来プロになるんやろうなぁ」と思っていたら、やっぱり彼は卒業後プロとして活躍した。
音楽の幅がどえらく広くいろんな分野に長けていた。
だが、hirokoが一番共感したのがCSN&Yだった。
彼のギターテクニックもさることながら、歌も上手いし、オリジナルもセンスがバリバリに光っていた。
彼も他分野でいろんなバンドを持っていたが、とりわけクラブ内で「シトロン・ガール」を結成し、LSDでヴォーカルをとってくれたヨーコさん、美しい先輩生島さん、面白いナッチンという3人官女をしたがえて、4人から成るバンドだった。
まぁ、4人が4人とも歌が上手いので誰がヴォーカルをとってもサマになったし、この4人のハーモニーとなれば、首筋に鳥肌だビョォーンと立つ程の強烈なパワーのあるハモリだった。

そんな4人のバンドにバックがついた。
光栄なことにもLSDからややちゃんとhirokoがリズムセクションで加わり、キーボードに小林さんが参加した。
2〜3曲をばっくのついた広がりをみせる為の参加であったが、その練習のきびしさはクラブ1だった。
今でも鮮明に覚えているのは、単調なリズムキープでhirokoは何やら考え事をしながらドラムを叩いていた。
するとバッチャンは「みどろ、考え事するんやったら、出て行け!」と叱られた。
リズムキープには自信のあったhirokoだったが、バッチャンのリズムを読み取る真剣さと凄さには大いに落ち込ませてもらった。
何度も演奏を中断される度に、「今の誰が悪かったんやろ?」とシーンとした中で、各自が目で伺い合う。
ばっちゃんの顔色を伺いながら、気が抜けることのない練習だった。
お陰でバンドのバックバンドとしての本当の基本を学んだような気がする。
普段は面白いいいお兄ちゃんだったが、練習に入ると全く人が変ってしまっていた。
こうでなきゃ、プロにはなれんわな!

今でもばっちゃんはhirokoにとっては音楽のお師匠さんである。
 
 
 



 
 

れいバンドの巻
 

れいちゃんという歌の実に上手い先輩がいた。

シュウさんと二人で「ラストステップ」というバンドで唄っていた。
「この人達も将来プロになるんだろうな・・・。」と思っていた。
れいちゃんはしっかりもので、誰からも慕われていた。
ところが、このラストステップは解散してしまった。
だが、このれいちゃんをとりまくもの達がれいちゃんを一人にはしておかない。
ピアノに京子ちゃん、ギターに大槻さん、そしてフクちゃん、ハーモニーにすみちゃんとなっちん、当時彼等は4回生った。
hirokoはその当時3回生で、いろんなことで落ち込んでいた。
LSDを脱退し、クラブまで辞めてしまった。
「もうドラムは人前では叩かないよ」と言い残してLSDを去ったのだが、れいちゃんからお誘いがきた。
れいちゃんの頼みとあらば、断る訳にはいかんなぁ。でもって、LSDのややちゃんと共に再びスティックを握って
れいちゃんのバンドに参加した。
彼女たちにとっては大学時代最後のコンサートが終わり、最後の思い出として太秦のスタジオへと何度も足を運んで
レパートリーを収録した。
S&Gの「明日に架ける橋」とか、大橋純子、デイヴ・メイソン、竹内まりあ、イヴォンヌ・エリマン、etc
と、面白い選曲だった。
大所帯のれいバンドだったが、チームワークは抜群でハッピーなバンドだった。

れいちゃんやなっちん、ふくちゃん達と昨年再会を果たした。
ファミリーレストランでワイワイお喋りしたが、「さぁ、練習いこか!」のノリは健在だった。