彼等はウッドストックの声。ビートルズやローリングストーンズを上回るスーパーグループになりうるはずだった。
だが、彼等は自らの手で爆破させてしまった。
ドラッグの嵐、壮絶に相対するエゴイズム、そして彼等を駆け抜けた女達によって・・・
2002年今彼等は巨大なアメリカンツアーの為に再び蘇った。

CSN&Y物語


CSN&Y2002アメリカンツアー初日のセットリスト
2002年3月2日Boston公演レビュー

出会い
CS&N誕生
CSN&Y誕生
最高でそして最悪のアルバム「Deja Vu 」
それぞれの道
スタジアムへ
彼らを迷わせた女達
クロスビーの地獄からの返還
そして再び

デヴィッド・クロスビー
スティーヴン・スティルス
グラハム・ナシュ
ニールヤング

ディスコグラフィー

CSN&Yブートリスト

HirokoとCSN&Y
続HirokoとCSN&Y


CSN&Y2002アメリカンツアー初日のセットリスト

Palace Of Auburn Hills
Detroit, Michigan, Feb. 6, 2002

   1.Carry On/Questions
    2.Military Madness
    3.Goin' Home   [currently unreleased Neil song]
    4.Deja Vu
    5.Feed The People   [new Stephen song]
    6.I Used To Be A King
    7.49 Bye-Byes
    8.You're My Girl   [new Neil song]
    9.Southern Cross
   10.Almost Cut My Hair
   11.Cinnamon Girl
      Second Set
   12.Helplessly Hoping
   13.Our House
   14.Old Man   [with Larry Cragg on Banjo]
   15.Carry Me
   16.Dream For Him
   17.Harvest Moon
   18.Guinnevere
   19.Half Your Angels
   20.Old Man Trouble  [Booker T song sung by Stephen]
   21.Marrakesh Express
   22.Suite: Judy Blue Eyes
   23.Teach Your Children
      [7th Inning Stretch]
   24.Let's Roll   [currently unreleased Neil song]
   25.Woodstock
   26.Long Time Gone
   27.Two Old Friends   [new Neil song]
   28.Southern Man
   29.For What It's Worth
   30.Wooden Ships
   31.Rockin' In The Free World
      Encores
   32.Long May You Run



出会い
 

運命の二人、スティーヴン・スティルスとニール・ヤング。
これほど強烈な個性のぶつかり合いはなかっただろう。
お互いに引かれながらもエゴでバンドとしての機能を欠いていく結果になってしまった。
しかし、彼等の壮絶な喧嘩のあとのハーモニーというのは全く素晴らしい結果を招いたのも確かである。
ダラスのスティルスがバンドを率いてカナダに遠征する。
オンタリオでのクラブで黒髪の不思議な魅力を漂わせていたニール・ヤングと出会うことになる。
LAで「モンキーズ」のオーディションが行われるということで、スティルスはLAへ。
そこでカナダにいるはずのニールの車がサンセットブルーバードで交通渋滞に巻き込まれているのを見る。
クラクションをガンガン鳴らしてニールの注意を引く。
中にはカナダのニールの友人Bruce Palmerも乗っていた。
意気投合し「Buffalo Springfeild」の結成に至る結果となる。

LAの王者「The Byrds」で活躍していたクロスビーだったが、メインのソングライターであったClarkがバンドを去ったあと、McGuinn、Hilman、そしてクロスビーの3人の間でリーダーシップをめぐって激しい競争が始まった。
1967年そこには悲劇が待っていた。
新曲「Triad」の完成途中Mcguinnとクロスビーが衝突。
セッションの半ばでクロスビーは去ってしまった。
首になったクロスビーはママス&パパスのCass Eliotの家に頻繁に通うようになる。

一方大西洋を隔てた英国。
「The Hollies」に行き詰まりを感じたナッシュは昔からの親友であるCass Eliotを訪ねてLAに旅立った。

このLAのCass Eliotの家で運命の3人が出会う結果となる。
ちなみに当時Cassの家はとてもフレンドリーでLAの若きミュージシャン達がいつもたむろしていた。
彼女はそこを本当に「サロン」として作り上げ、恋人であるママスとパパス、Johnセバスチャン、スティルス、クロスビー、ナッシュ達がいつも集まっていた。
英国からも風変わりな男達もどんどん招き、まさにそこは幻想的な天国と化していた
当時男達は「太った女」に狂っていた。
このCassもハムサンドイッチでこの世を去ったエピソードはあまりにも有名なんだが・・・・


CS&N誕生

クロスビーとナッシュはそれはJoni Mitchellの家だったと言い、スティルスはCassの家だったと主張しているが、始まりはある蒸し暑い夜のことだった。
スティルスは新しい曲を作ろうとペンを執っていた。
クロスビーが加わり、「In the Morning when you ride.....」
其の時、ナッシュが傍から彼等に何度も何度も歌うように求めた。
突然彼の弧を描くようなハーモニーが彼等の上に強烈に被さった。
そのときクロスビーは床に打ちのめされて倒れ込んでいたという。
「You Don't have to Cry」である。
クロスビーは言う。
「とっても恐ろしかったよ。と同時に僕らは特別なこの英国人を得たことを実感したさ」
帰る車の中で彼に彼等と一緒にいるように何度も頼み込んだという。
ナッシュは一度英国へ戻るがクロスビーとスティルスは追いかけて行く。
1968年12月ロンドンのクィーンズ・ウェイを外れたベイズウォーターのMoscow Road。
そこにはヒッピーの溜まり場で風変わりなブティークやバーやレストランがひしめき合う。
隣のベーカリーから立ち上るホットチョコレートと焼き立てのパンの匂いが充満する小さなフラットにこの3人が再び集まっていた。
この小さなフラットで日夜歌声が響き渡った。
ビートルズのジョージ・ハリソンが彼等のアップルレコードとのサインに招かれたが、彼は丁重に断ったというエピソードが残っている。
其の後アトランティック・レコードの創設者Ahmet Ertegunと契約を結ぶまでに至る。
AhmetはThe Byrdsでの経歴もあり、レイ・チャルズやアリサ・フランクリン其の他数多くのシンガーを育てた腕利きだった。
彼等はハリウッドのダウンタウンのドラマー、Dallas Taylerを迎えてレコーディングにとりかかった。
Wally Heider スタジオでのセッションはまるで魔法の世界だった。
AhmetはいつもMama CassやPeter Fonda やPhil Spector等とともにスタジオに現れた。
彼等の持ち込んだ曲はどの曲も弱いものはなかった。

John Sebastian曰く・・・・
「当時彼等はモンキーズのPeter Tarkの家に住んでいた。そこには格好のいい女達がいつも出入りしていた。最高だったね。
この初期の時代が彼等にとって素晴らしい時代だったはずだよ。」

1969年6月最初のアルバム「Crosby,Stills&Nash」がリリースされた。
木の香りが漂うアコースティック・サウンドに息をのむハーモニーが詰まったこのアルバムはTOP40に40週間そしてチャートには何と2年以上も留まるという快挙を成し遂げた。


CSN&Y誕生

斬新なファースト・アルバム「Crosby,Stills&Nash」の発表後、彼等は甘い蜜月を味わっていたが、ハネムーンはそう長くは続かなかった。
クロスビーそしてナッシュは現状に満足していたが、スティルスはもっともっとRockの傾向を追い求めたかった。
彼の不満が積もり始め、今度はスティルスが離れて行く気配だった。
そこでDallas Taylerがライヴ・バンドとしての道を提案する。
しかし3人の歌い手とドラマーではライヴバンドとしては成り立たない。
彼等はニューヨークに行き、Phil Everly、Rick Jones、John Sebastian等に参加を求めたが誰もが首を振った。
そこで彼等ははるか英国まで足を伸ばし、Eric Clapton、Steve Winwood、さらにはGeorge Harrisonにまで声をかけたがはたまた空振りに終わってしまう。
最終的にDavid Geffenはニール・ヤングを推薦することになる。
そもそもBaffalo Springfieldがどうして分裂したかが大きな問題となるところだったが・・・・・
(スティルスとの火花はすぐに始まった。ニールヤングはバンドを出たり入ったりを繰り返し、ソロとしての道を確立しはじめていた。
ニールはビートルズでたとえると、Jhonレノン、スティルスはマッカトニー、そしてRichie Hurayはがジョージといった感じだった)

だが、事態はそれほど逼迫していた。
当時のニールはソロとして「NeilYoung」「Everybody Knows This Is Nowhere」を発表していたが、彼のセールス具合はまだまだCSNのものとは比べ物にならないものだった。
彼の宣伝のため、そしてまたスターへの道はまだ遠かった彼にとっては絶好の足がかりともなりうる。
ニールに参加の話を持ち掛け、彼は承諾する。
丁度「Helpless」を完成させたところだった。


ウッドストックへ
 

彼等は19歳のMotownの若きベーシスト、Greg Reevesを迎え入れドラマーのDallas Taylorと共に丘の頂上にある
Peter Tarkのマンションでリハーサルを行った。
さらにGeffnとスティルスはシカゴの大会場を操るボスに$10,000の彼等にとっての初めてのGIGへの予約を取り付けた。
そしてその数日後の1969年8月、彼等はウッドストックの大舞台へと登ることになる。

アトランティックの創設者であるAhmetは言う。
「私は彼等のためのウッドストックのすべての権利を買い取った。何故なら彼等がそこで演奏することを知っていたし、ライブアルバムを作りたかった。だから私はそのショーの全ての音楽著作権を購入した。それがどれほどの大きなコンサートであるかなど
知らなかったし、行くことすらしなかったが、それを正しく録音して、正しく映画にすることだけを考えていた。」

勿論この巨大な野外コンサートはCSN&Y神話を作り上げ、彼等を不動のスーパースターに位置づけた。

しかし彼等の演奏は最悪だったと後日のニール、そしてスティルスが語っている。
スティルスは苛立ち、ナーバスになりながらしばしば音を外していた。
これらは後日スタジオでサウンドトラックが吹き替え編集されている。
ニールはことごとく拒否し、このショーでの彼の姿さらにサウンドトラックからも彼の名前を削り取るように主張した。

そういう内部事情にも関わらず彼等の与えたインパクトは強烈なものだった。
それは彼等のショーだった。
彼等がウッドストックの声だった。
 



最高でそして最悪のアルバム「Deja Vu 」
 

1969年9月30日、クロスビー当時真剣に付き合っていた恋人のChristine HintonがクロスビーのVWでドライブの最中にスクールバスに突っ込み即死というショッキングな事件が起こる。
CSNYの残りのショーは全てキャンセルされ、ナッシュや他の数人を伴いクロスビーはフロリダへと向かった。
アルコールのがぶ飲みを繰り返し自殺に至るかもしれないとナッシュはクロスビーのそばを離れなかったという。
しかし痛々しいクロスビーの痛みを救える唯一のものはヘロインだった。
彼女の灰はゴールデンゲート、そしてフロリダはMayanのSausalitoハーバーに撒かれた。

丁度その時期、サンフランシスコのWally HeidersスタジオにてCSN&Yとしてのファーストアルバムである「Deja Vu」のレコーディングが始まった。
 

クロスビーは生と死の境に立っていた。
だがニールと共にスタジオに初めて現れた時、彼は全く違っていた。
とてもダイナミックで彼そのものだった。
小さなレコーディング・ルームはテンションがかなり高く重苦しい空気の中でいつ爆発するかわからない状態だった。
だがそれも長くは続かなかった。

ナッシュはいつもどおりピースメーカーの役割を演じ、スティルスはことごとくリーダーシップをとろうとしていた。
4人の主人公達が同じ部屋で一緒に音を作ることは甚だ困難だった。
当時クロスビーはドラッグに溺れ、ナッシュはJoni Mitchellと別れたばかり、スティルスはJudy Collinsとの
燃えカスの中で苦しんでいたし、ニールは新しいソロLP「After The Gold Rush」のセッションとSusan Acevedoとの
結婚生活の下降線の間に立たされていた。

Dallas Taylorは語る。
「DejaVu」のセッションは悪夢だった。それは完成までに1年かかったんだ。
ニールは彼の曲を自分のスタジオに持ち帰りそれらを自分の手で仕上げていたんだ。
ニールはいつも3人から遠く離れていた。彼は自分の曲HelpnessそしてCountryGirlを素早く仕上げ、他の曲は歌うことすらしなかった。Woodstockを除いて・・・・・
Deja Vuの殆どはクロスビーとスティルスとそしてナッシュだった。
勿論そこにはバッファロー時代の再発があった。」

このような悲惨な状況下で700時間をかけて作られたアルバムであったが、その結果は驚くべきものだった。
「正しくミュージシャンを組み合わせていると、どんなことがあっても魔法はまだ光る」

発売前の予約だけでも$2億。
そしてそれは1970年3月に打ち放たれUSチャートで第一位となった。

だが、これ以降彼等は20年あまりスタジオで録音することはなくなった。
 
 


それぞれの道
 

Deja Vu発表後のCarryOnツアーの公表時と同時にベーシストのリーブスが離れ、彼の替りにスティルスの推薦する
Samuelsが彼等に同行することになった。
そして半分がアコースティック、半分がエレクトリックという彼等の最も好ましい形でのコンサートが開始された。
CSN&Yは21のマイクロフォンをステージで使い、すべての巨大なPAシステム、スピーカー、そしてモニター等が飛行機で運ばれるという1970年代のタイタニック号ツアーの始まりとなった。
圧倒的な観客そして報道関係のリアクションにも関わらず、すべてはそれほど素晴らしいものではなかった。

「その当時、怪物的なパワーがスティルスを支配していたんだ。僕は案内役になるのは構わない。だけど彼は全く非常識だったよ。」とナッシュが不平をもらし、クロスビーがこう付け加えている。

「ナッシュと僕は彼に対して問題を抱えていたよ。何故ならば彼はいつもリードプレイヤーでそしていつも何事も支配しようと
していたんだ。僕らはこのバンドで対等だったし誰もがリーダーではなかったというのが理想だったんだ。
だからこそ僕たちはこのバンド名をそれぞれの名前を掲げている理由なんだ」

そこには勿論スティルスとニールの間に再発した緊張状態も益々膨れ上がっていた。

デンバーではドラムのDallas Taylorがビートを外したことがきっかけでニールが激怒しステージを降りた。
「ダラスが出て行かないのなら僕が行く!」と叫んだそうだが、実際は「もしも僕がスティルスと一緒にやんなきゃなんないのなら
その時にはダラスが出て行かないといけない」だったそうだ。

次のgigであるシカゴでは今度はスティルスが家に帰る番だった。
彼等はミーティングを行いスティルスをクビにすることを決めたのだった。
「多分僕はその当時目立ちたがり屋だったからだろう」と不平をもらすスティルス。

まさにバッファロー時代からの戦いが一気に爆発し、くすぶっていた燃え滓に引火し巨大な炎を作り上げた。
かつてスティルスがコロラドでニールやクロスビーそしてナッシュによって首にされた時、ダラスは彼に付いていった。
ニールはダラスをもクビにした。

1970年7月そのショーに終わりを告げた時、彼等は1晩£50,000稼いでいたという。

其の後、4人はそれぞれのソロ活動に専念するようになり、それぞれが活発にソロアルバムを発表した。
単独的にお互いのアルバムやコンサートに参加することがあっても4人が揃うということはなかった。
 


スタジアムへ
 

1973年のクリスマス前ニールからの呼びかけでクロスビーとナッシュはサンフランシスコでおこなわれたコンサートに再び
姿を表し同窓会となる。
マネージャーだったElliot Robertsはここで再びスティルスを呼び寄せる。
Roberts、David GeffenそしてかれらのプロモーターのBill Grahamらとともにスティルスはニールと話し合う。
交渉の結果二人は休戦となり、当時まだローリングストーンズですら実現していなかったスタジアムでの巨大なコンサートへの
計画を練ることになった。

だがそれはクロスビーとナッシュは最初からかけ離れた存在だった。
「僕はスタジアムで演奏なんか出来なかったさ。あれはニールとスティルスのための旅行だったんだ。特にスティルスのね。
彼は誰よりも大きくなろうとしていた。ストーンズよりも・・・・だけど音楽は貧窮していたよ。僕たちがエレクトリックのセットに入るとニールとスティルスは再びギタープレイの競争が始まる。どんどんとボリュームは上がり、僕とナッシュはハーモニーなんか
出来る状態ではなかったさ。」とクロスビー。

ボブ・ディランとThe Bandが1974年始めに似たようなことをやったが、CSN&Yの再結成ツアーは初めてのフルスケールのアウトドア・コンサート・ツアーを実現させた。
35日のスケジュールそして3万席を下ることのない当時としてはセンセーショナルな試みだった。

ツアー・ドラマーのRuss Kunkelは当時のことをこう思い出している。
「それは全く驚異的なことだったよ。ニールと共演することがこんなに素晴らしいものだとは思わなかった。
彼は全く音楽のセンスとパワーを身につけていてみんなを彼のレベルにまで引き上げるんだ。地上の魔術師だね。
あのひとときは僕の生涯の中でも最も偉大な瞬間の一つだよ。」

ツアー中の全てのホテルはスイートで特注のシルクスクリーンのツアーロゴの入った枕カバー、舞台裏では同じツアー・ロゴ刻印されたプレートにステーキ・ディーナーが用意されていた。
30以上の料理人を抱え、ヘリコプターは手中に、報道関係者たちにはファーストクラスと特別席が用意され、コケインはいつでも補給されていた。
そこではいつもパーティーが開かれ、女ダンサー達がいつも踊り狂っていた。

Russ Kunkelが再び
「そこはサーカスだったね。まさに巨大な・・・・どのホテルも高級スイートでそこにはキッチンがついている。
24時間営業でいつでも何でも補給されていた。欲しいものは何でも手に入った。あらゆる消費という消費が出来たって感じだった」

だがやはりこれほどの観客をまとめる力はクロスビーとナッシュにはなかった。
興奮化する観客を静かに自分達のハーモニーの魔術に引き込むことは到底無理な話だった。

報道官系や観客達の絶賛を他所に二人の不満は募り、ニールとスティルスの競争は納まりがつくはずもなかった。
華やかな時代もコンサートの終了で終止符が打たれた。
 


彼らを迷わせた女達

「僕らは多くのスタジオの時間をキャンセルしたさ、女性問題によってね。
女性はこの世の中で一番大切な事柄だ音楽は2番手だ。」グラハム・ナッシュ











Joni Mitchell

1967年「The byrds」を解雇されたクロスビーは彼の最も愛するスクーナー(帆船)に乗り込みフロリダのココナッツ・グローブへと航海に出て古き旧友達と再会する。
ある夜のこと、彼はガスライト・サウス・コーヒー・ハウスに立ち寄った。
そこではJoni Mitchellが歌っていた。
クロスビー曰く「初めて中に入って彼女の歌を聞いた時、僕は後ろの壁に叩き付けられたような感じだった。僕は席につくことすら
出来なかったよ。こんな素晴らしい歌声、こんな素晴らしいチューニング、こんな素晴らしい歌詞、今迄聞いたことがなかった。すぐさま彼女のとりこになってしまった。多分今でも彼女は世界一のシンガーソングライターだ。
彼女の詩はディランのものと同じくくらいいいし、ミュージシャンとしては彼の10倍は優れているだろう」と。

クロスビーは彼女を連れてLAに戻り彼のプロデュースでJoni Mitchellは「Song to a Seaqgull」を発表する。
そして同時に彼等は恋人同士となった。
後日彼女との生活をこう語っている。
「彼女との生活はまるでセメント・ミキサーの中に放り込まれたような感じだった。彼女はとても騒々しい女性だったね。」

さて其の後、クロスビーの家に来ていたナッシュが病気になった時、Joniは彼を家に連れてかえって手厚い看病をした。
そこで二人の間にロマンスが生まれることになる。
当時のヒッピー時代、女性をめぐる所有権などというナンセンスな時代ではなかったし、其の時にはすでにクロスビーは
Christine Hintonに愛を捧げていた。
ナッシュとJoniはローレル・キャニオンに愛の巣を作り始めた。
ナッシュの「Our House」そしてJoniの「Willy」2つの名曲が生まれる元になる。

Rita Coolidge

西部劇に出てきそうなチェロキー・シュガー・ベイブ。
1970年スティルスのソロアルバムに招かれたRita。
スティルスは一目で惚れ込んでしまう。
しかし同時にナッシュもとりこになってしまうが、後日のクロスビー曰く。
「このようなことが起こると其の時はいつもナッシュに軍配が上がるんだ。彼は彼が望むどんな女性も手に入れていた。
何故ならば彼は格好いい英国人だからね。
ナッシュは素早くRitaをスティルスから遠く離れたところに連れ去ってしまった。

Nicholet Larson
 

ニールヤングとの恋人時代 「アメリカン・スターズン・バーズ」 「カムズ・ア・タイム」 でバッキングヴォーカリストとして起用
され注目された。
その後ラス・カンケルと再婚し子供も授かったのだが脳腫瘍で亡くなり世間を驚かせた。
 
 


クロスビーの地獄からの生還
 

彼のドラッグ中毒は「Deja Vu」以降益々酷くなるばかりでそれも随分と長期にわたるものだった。
ついにはテキサスのHauntville監獄に放り込まれる結果を引き起こす。
彼の自叙伝「Long Time Gone」の中でこう語っている。
「$500のコケインと$200のヘロインを毎日摂取していたんだ。ドラッグのディーラーはあちらこちらにいたし、彼等は宅配のピザの配達よりずっと早く届けてくれたさ。」

LAの腕利きドラマーのRuss Kunkelは付け加える。
「デヴィッドは本当にラッキーだったよ。僕たちは本当に彼を失ってしまうだろうと思っていた。ナッシュはいつでも彼が死んだとの
知らせが入るかと準備していたくらいさ。僕たちにはもうどうしようにもなかったね。」

監獄にぶち込まれたことが彼のターニング・ポイントとなった。
監獄での生活はそんなにいいもんではないからね。とクロスビーは語る。

破産申告をして、国税庁に$1億の借りを作る。
1986年の最初の判決が下り釈放され、ナッシュやニールと共にLong Beachでのドラッグ追放救済コンサートに現れる。
UCLAの更生施設で社会復帰するために過ごし、彼は31歳で交通事故で亡くなった被害者からの肝臓を貰い移植した。
其の後すぐに彼の妻Janが妊娠していることを知り、その同じ日に彼はその存在すら知らなかった養子の存在を知った。

「その12ケ月の間にLAを襲った大地震で僕の家は倒れたさ。国税庁は僕を追いかけてきた。
だって僕は彼等の会計士の一人だったからね。」と笑いながら答えている。

僕は今自由で奇麗さっぱり。新しい肝臓に二人の素晴らしい息子達。
僕は生き残ったんだ。
或る日のこと、僕はTVを見ていたんだ。すると僕の担当の医者インタヴューされているのが映っている。
彼はこう言ったんだ。

「Oh! そうだとも!彼(クロスビー)の肝臓はおおよそ死ぬ1週間ほど前の状態だったさ!」
「何だって??誰も教えてくれなかったぞ!でもそうだったろうな」

彼の人柄を証明するかのように彼のドラッグ中毒時代や社会復帰時代には彼の回りには多くの友達が温かい手を差し伸べ
見守っていた。



 

そして再び

1974年黄金時代の幕は閉じたが、CSNとしてはアルバムを発表したり幾度となくチャリティーなどのステージには上がっていた。
クロスビーの地獄からの生還そして社会復帰がきっかけとなり「Deja vu」以来約20年ぶりにニールの呼びかけで3人はニールの牧場に集まった。
そこで「American Dream」が完成された。
更にはニールの身障者のための学校資金援助のためのベネフィット・コンサートに出演するなど次第に接近しはじめる。
CSNとして幾枚かのアルバムやコンサートも行っていた。
1999年には再び4人としてのアルバム「Looking Foward」も発表された。

時代はめまぐるしく変貌した。
20世紀に終わりを告げ2000年。
CSN&Yとしての何と26年ぶりのツアーが実現する。
ニール曰く
「どういうか母船に一時的に戻ったような感じだった。僕たちには拒否し難いルーツがある。まさに運命というものだね。」

2001年9月13日ニューヨークを襲った恐ろしいテロ。
ニールは立ち上がった。
「Let's Roll」を発表しチャリティーに精力的に参加する。
新しいアルバムのリリースを控えた2002年、再びニールの呼びかけでCSN&Yの2年ぶりの巨大なアメリカン・ツアーがスタートした。
 


デヴィッド・クロスビー
 
 

LA生まれのクロスビーはニューヨークの高級移民である父フロイドの息子。
父のフロイドは1931年のオスカーの受賞者(TABU)であるシネマフォトグラファーだ。
若い頃のクロスビーは彼が通う学校という学校にことごとく追い出され、LAフォーク・サーキット内で
演奏を始める。
其の後コロラド、ニューヨーク、フロリダ、サンフランシスコなどと転々とし、再びLAに戻る。
そこで彼はRogerMcGuinn、Gene Clark、そしてChris Hilman、Micael Clarkに加わりハーモニーとして
共に歌い始めた。
このバンドこそが当時のLAの王者「The Byrds」である。
 
 


スティーヴン・スティルス
 

テキサスはダラス生まれ。
彼はコーヒーハウスで働きながらFread Neil、Tim Hardin そしてRichie Havensと共にバンドを組んでいた。
カナダへの短いツアーに乗り出し、オンタリオでの夜、「スクワイアー」という名のバンドを率いるフロントマンの
ニール・ヤングと稼ぎを分かち合った。
お互いが強く惹かれ合い、同時に運命の火花が散る始まりとなった。
彼はLAに出向き「モンキーズ」のオーディションを受ける。
そこで彼はRichie Furayと出会う。
「バッファロースプリングフィールド」の土台を築くことになる。


グラハム・ナシュ
 

英国はブラックプール生まれ。
マンチェスターにベースを置く、「The Hollies」で輝かしいキャリアを積んでいた。
1968年の夏、ナッシュとAllan Clarkeは別々の方向に直面していた。
他のメンバー達は気に入らなかったらしいが彼の新曲「マラケッシュ・エクスプレス」を録音する。
 
 
 
 
 


ニール・ヤング
カナダ、トロント生まれ、カナディアン・インディアンの血を引く。1951年小児麻痺にかかる。クリスマスプレゼントにギター(ウクレレ)うをもらい音楽の道に目覚める。十代の頃からカナダで音楽活動をはじめ、弾き語りやいくつかのバンドに参加した後、スクワイアーズに加入する。
オンタリオで出会ったステファン・スティルスとL.Aでの交通渋滞で運命の再会を果たした後、意気投合してバッファロー・スプリングフィールドを結成。三枚のアルバムを発表後に脱退。ソロとして活動を開始し、"Harvest", "After the Gold Rush"などの名作を70年代に発表する。途中ソロ活動と並行してC.S.N&Y(クロスビー、スティルス、ナッシュ アンド ヤング)で再びスティルスと活動を共にしウッドストックにも出演するが一年ほどで脱退, その後はソロアーティストとして、  延々と活躍する。
 
 


ディスコグラフィー

CSN

Crosby,Stills & Nash (1969)
1.Suite:Judy Blue Eyes
2.Marrakesh Express
3.Guinnevere
4.You Don't Have To Cry
5.Pre-Road Downs
6.Wooden Ships
7.Lady Of The Island
8.Helplessly Hoping
9.Long Time Gone
10.49 Bye-Byes
 

CSN(1977)
 1.Shadow Captain
2.See The Changes
3.Carried Away
4.Fair Game
5.Anything At All
6.Cathedral
7.Dark Star
8.Just A Song Before I Go
9.Run From Tears
10.Cold Rain
11.In My Dreams
12.I Give You Give Blind

Daylight Again(1982)
 1.Turn Your Back On Love
2.Wasted On The Way
3.Southern Cross
4.Into The Darkness
5.Delta
6.Since I Met You
7.Too Much Love To Hide
8.Song For Susan
9.You Are Alive
10.Might As Well Have A Good Time
11.Daylight Again
 

Allies(1983)
1.War Games
2.Raise A Voice
3.Turn Your Back On Love
4.Barrel Of Pain
5.Shadow Captain
6.Dark Star
7.Blackbird
8.He Played Real Good For Free
9.Wasted On The Way
10.For What It's Worth
 

Live It Up(1990)
 1.Live It Up
 2.If Anybody Had A Heart
 3.Tomboy
 4.Haven't We Lost Enough ?
 5.Yours And Mine
 6.(Got To Keep)Open
 7.Straight Line
 8.House Of Broken Dreams
 9.Arrows
 10.After The Dolphin

Crosby,Stills & Nash (Box Set) (1991)
 1.Suite:Judy Blue Eyes
 2.Helplessly Hoping
 3.You Don't Have To Cry
 4.Wooden Ships
 5.Guinnevere
 6.Marrakesh Express
 7.Long Time Gone
 8.Blackbird
 9.Lady Of The Island
10.Song With No Words (Tree With No Leaves)
11.Almost Cut My Hair
12.Teach Your Children
13.Horses Through A Rainstorm
14.Deja Vu
15.Helpless
16.4 + 20
17.Laughing
18.Carry On/Questions
19.Woodstock
20.Ohio
21.Love The One You're With
22.Our House
23.Old Times Good Times
24.The Lee Shore
25.Music Is Love
26.I'd Swear There Was Somebody Here
27.Man In The Mirror
28.Black Queen
29.Military Madness
30.Urge For Going
31.I Used To Be A King
32.Simple Man
33.Southbound Train
34.Change Partners
35.My Love Is A Gentle Thing
36.Word Game
37.Johnny's Garden
38.So Begins The Task
39.Turn Back The Pages
40.See The Changes
41.It Doesn't Matter
42.Immigration Man
43.Chicago/We Can Change The World
44.Homeward Through The Haze
45.Where Will I Be?
46.Page 43
47.Carry Me
48.Cowboy Of Dreams
49.Bittersweet
50.To The Last Whale:
 A. Critical Mass
 B. Wind On The Water
51.Prison Song
52.Another Sleep Song
53.Taken At All
54.In My Dreams
55.Just A Song Before I Go
56.Shadow Captain
57.Dark Star
58.Cathedral
59.Wasted On The Way60.Barrel Of Pain (Half-Life)
61.Southern Cross
62.Daylight Again:
A. Daylight Again
B. Find The Cost Of Freedom
63.Thoroughfare Gap
64.Wild Tales
65.Dear Mr. Fantasy
66.Cold Rain
67.Got It Made
68.Tracks In The Dust
69.As I Come Of Age
70.50/50
71.Drive My Car
72.Delta
73.Soldiers Of Peace
74.Yours And Mine
75.Haven't We Lost Enough?
76.After The Dolphin
 77.Find The Cost Of Freedom
 

After The Storm(1994)
1.Only Waiting For You
2.Find A Dream
3.Camera
4.Unequal Love
5.Yill It Shines
6.It Won't Go Away
7.These Empty Days
8.In My Life
9.Street To Lean On
10.Bad Boyz
11.After The Storm
12.Panama
 

CSN&Y
Deja Vu (1970)
  1.Carry On
  2.Teach Your Children
  3.Almost Cut My Hair
  4.Helpless
  5.Woodstock
 6.Deja Vu
  7.Our House
  8.4+20
 9.Country Girl
   a) Whiskey Boot Hill
   b) Down,Down,Down
   c) "Country Girl"(I Think You're Pretty)
    10.Everybody I Love You
 
 

4 Way Street(1971)
1.Suite:Judy Blue Eyes
2.On The Way Home
3.Teach Your Children
4.Triad
5.The Lee Shore
6.Chicago
7.Right Between The Eyes
 8.Cowgirl In The Sand
9.Don't Let It Bring You Down
10.49 Bye-Byes/America's Children
 11.Love The One You're With
  12.King Midas In Reverse(CD only)
13.Laughing(CD only)
14.Black Queen(CD only)
15.Medley(CD only)
The Loner
Cinnamon Girl
 Down By The River
  16.Pre-Road Downs
17.Long Time Gone
18.Southern Man
19.Ohio
20.Carry On 21.Find The Cost Of Freedom
 

So Far(1974)
1.Deja Vu
2.Helplessly Hoping
3.Wooden Ships
4.Teach Your Children
5.Ohio
6.Find The Cost Of Freedom
7.Woodstock
8.Our House
9.Helpless
10.Guinnevere
11.Suite:Judy Blue Eyes
 

American Dream(1988)
 1.American Dream
 2.Got It Made
 3.Name Of Love
 4.Don't Say Goodbye
 5.This Old House
 6.Nighttime For The Generals
7.Shadowland
8.Clear Blue Skies
9.That Girl
10.Compass
11.Soldiers Of Peace
12.Feel Your Love
 13.Night Song

Looking Forward(1999)
1.Faith In Me
2.Looking Forward
3.Stand And Be Counted
4.Heartland
5.Seen Enough
6.Slowpoke
7.Dream For Him
8.No Tears Left
9.Out Of Control
10.Someday Soon
11.Queen Of Them All
12.Sanibel
 
 


CSN&Yブートリスト

CDR

2000年デトロイト3枚組

2000年ワシントンD.C3枚組

2002年トロント3枚組
2002年ニューヨーク3枚組

2002年ボストン3枚組

2002年ミネアポリス3枚組

2002年オークランド3枚組
 
 

VCD

Story tellers VCD(CSN&Y2K)MTV

Legends VCD(VH1recordings)
 


ご要望の方はE−mailください。
 
 



 

HirokoとCSN&Y
 

Hirokoが初めて彼らの歌声を聞いたのはあの「小さな恋のメロディー」で最後に流れたTeach your Childrenだった。それから時が過ぎてある日受験勉強の真っ只中で深夜族となっていたhirokoはラジオから流れてきた「Heart Of Gold」にいたく感動を覚えたのだった.いったいこれは誰が歌っているのだろう?この独特の歌い方、詩の素晴らしさ、シンプルだがとっても響きのいいギター。いったいこれは誰なんだ?でもってこれがニール・ヤングというカナダ出身のミュージシャンでその彼があの小さな恋のメロディーで歌っているCSN&Yまでにたどり着くまでには時間がかかってしまった。大学時代はハードロックにイカレていたhirokoではあったが、同時にウエストコーストサウンドのクリアーで透明感のあるハーモニーのバンドにもひたすら耳を傾けていた毎日だった。そうこうしているうちにバンドは解散し、それぞれソロでがんばっていた。結局とうとうその時代には、CSN&Yは日本へ来日することはなかったのだが、おおよそ10年ほど経ってから彼らは再結成をして日本へ現れた。しかしその時にはニール・ヤングの姿はなかったが・・・

大阪でのコンサートはもちろん素晴らしいものだった。
かなり歳を食ったとはいえ、彼らの放つ歌声は当日大阪フェスティバルホールに集まった観客の胸にグサリと鋭い衝撃を与えたはずだ。

Hirokoは特にスティーヴン・スティルスとニール・ヤングの大ファンであった。
ヤングはその詩の素晴らしさとキーの高いけだるい声が魅力で、スティルスはその素晴らしいギターさばきとハスキーな声にしびれていたものだ。
フェスティバルホールで行われたCS&NのコンサートのフィナーレがHirokoの大好きな「青い目のジュディー」でことさら、椅子から転がり落ちそうになりながら、感動で聞きほれていたのがまるで昨日のことのようである。

ニール・ヤングだって、ライク・ア・ハリケーンがhirokoのお気に入りであるし、何といってもあの最初に聞いた衝撃の「Heart Of Gold」だけはいまだたってもギターを持つとついつい弾いてしまう曲である。

このスコットランドへやってきてから、友達のレズ氏と知り合い、Drニールと命名していっしょに
ニールヤングの曲を弾いたりして遊んでいる。
彼の手配でグラスゴーでのコンサートにも出かけた。
これを書いている現在彼はロスに飛んでいるはずだ。明日からコンサートが行われ、彼は追っかけおじさんとなってコンサートに参加しているのである。
きっときっと素晴らしいコンサートなんだろうなぁ。。。

さて、今日の新聞に彼らの様子が書かれてあった。
うれしいニュース。。。噂ではあるが、来年の夏にこのUKへやってくるというではないか!
それもCSN&Yの4人揃ってである。
これはぜひとも要注意しておかねばなるまい。
ロンドンだろうが、深夜バスに揺られてでもぜひとも参加したいコンサートである。

続HirokoとCSN&Y

ようやく彼らの待ちに待った全米ツアーが始まった。
Drニール君にばったり出会ったhirokoは「ねぇ、その後UKにやってくるって情報入ってない?」と聞くと「おれ!行くんだもんね。ワシントン!」「うん、その話は聞いてるよ。ヨーロピアンツアーの情報はないの?」「だって行くんだもんね。ワシントン!」・・・アカン・・・話にならんわ。
で、ただ今Drニール君は彼らのワシントン公演のことしか頭にない。
「アバディーンから£240だぜ!なぜ行かないんだ?」と不思議そうな顔をする彼。
おめでたいおじさんだ。
彼は4月6日の£200もするワシントン公演の特等チケットを入手した。さぞかし素晴らしいものなんだろうと指をくわえるhirokoだった。

さて、ご存知の方もいらっしゃるだろうが、このバンドは4人編成である。
スティーヴン・スティルス、グラハム・ナッシュ、ビル・クロスビー、ニールヤング。
どれ一人とっても素晴らしい才能で、勿論各自でソロ活動できるミュージシャンであるが、とりわけニールヤングとスティルスの2人の個性は強烈で、しばし争うことになる。
バンドを長くやっていると、えてしてこの意見の違いで解散の憂き目にあうのだ。彼らも例外ではなかった。
これからアメリカンツアーが長期にわたって開催されるわけだが、果たして仲良く続けていけるかが問題となっているようだ。
特に高齢バンドとしてはヨーロッパ各国をストレスなしで無事にやり終えるかどうかが疑問なわけで、このアメリカンツアーの成功か否かで、ヨーロピアンツアーがコンファームされることらしい。
日本公演の可能性が出てきてはいるそうだぞ!

とにかくファンとしては何としてでもアメリカンツアーの成功と喧嘩のないよう祈るだけである。

              デトロイト公演のセットリストだよ!

         CSNY DETROIT SETLIST-OPENING NIGHT 1/24/00

                            CARRY ON
                            SOUTHERN MAN
                            STAND AND BE COUNTED
                            PRE ROAD DOWNS
                            HEARTLAND
                            49 REASONS (Wurlitzer/d45/Harp onstage)
                            SLOWPOKE (Wurlitzer/d45/harp offstage)
                            MARRAKESH EXPRESS
                            FAITH IN ME
                            ALMOST CUT MY HAIR
                            CINNAMON GIRL
                            (20 Minute Break-- Piano onstage)

                            HELPLESSLY HOPING
                            OUR HOUSE
                            ONLY LOVE CAN BREAK YOUR HEART (Piano offstage)
                            DREAM FOR HIM
                            SOME DAY SOON
                            LOOKING FORWARD
                            AFTER THE GOLD RUSH
                            GUINEVERE
                            SEEN ENOUGH (Piano onstage)
                           OUT OF CONTROL (Piano offstage)
                            TEACH YOUR CHILDREN
                            TAKE ME OUT TO THE BALL GAME/7TH INNING STRETCH
                            (Organ onstage)
                            LOVE THE ONE YOU'RE WITH
                            LONG TIME GONE
                            OHIO
                            FOR WHAT IT'S WORTH
                            DOWN BY THE RIVER
                            DARK STAR
                            ROCKIN IN THE FREE WORLD
                            (break)

                            encore1: WOODSTOCK
                            encore2: LONG MAY YOU RUN